恩師

先日、アメフト部で6年間お世話になったコーチに挨拶に行った。

大学時代4年間連続日本一+最終学年ではMVPも取った。
社会人になってからは、商社マンとして活躍し再来月からは海外現地法人の社長というイケメン過ぎるコーチ。
激戦を勝ち抜いてきただけあって一言一言に重みがある。
僕の憧れの存在だ。

そのコーチに挨拶に行くべく荒川のスコピの練習を覗きにいった。
(とは言っても締めのハドルにギリギリ間に合っただけなのだが汗)

やっぱりスコピの練習に来ると癒されるね♪
最近海外旅行していたこともあり社会情勢や自身の将来について考える事が多かったけど、今まで一緒に頑張ってきたみんなとグラウンドに立つと難しい事は全部忘れてしまう。
ただただ純粋に気持ち良い。

この前友達と「スコピは桃源郷だよね♪」と冗談ながらに話していた事を思い出した笑
(本当は辛い事もいっぱいあったはずだけど。。卒業すると何故か楽しかった事しか覚えてないんだよね♪)

でちょっと練習を覗いた後、コーチお二方とご飯を食べに行った。
お一人は前述の通り商社マン、もうひと片は外資生命保険会社にお勤めの方。

どちらの方のお話も非常に面白かった。
やはり社会を見る目が全然違う。
僕が漠然としか知らず変に不安に思っているような事も
コーチからすれば想定の範囲内といった感じ。


☆この日授かったコーチの名言集☆
 ・ダイエットの秘訣
  ご飯は野菜類を食べた後に漬物と一緒に食べる
  ラーメンなどの汁は3杯味わって終了。目の前にあると食べてしまうのですぐに片づけてもらう。
 ・おなか一杯食べるのは得策でない。8分目くらいでやめた方が仕事の能率が上がる。
  (上のダイエット作戦を実行すると腹8分目で体調もよくなる) 
 ・自分は90歳までは生きるつもり。癌に2回くらいかかる事は想定の範囲内。だから見つかっても慌てない。
 ・家庭・子供を持つことは良い事。生物というのはそのために生まれてきた。それを破棄するのは。。
 奥さんと二人で始めた事業がすでに9人になった。9人いると面白いぞ!
    etc 

改めてコーチに惚れ直した一日でした。

卒業式

昨日6年間通った大学に別れを告げた。
雨の降る寒い卒業式だったが、いくつか心に残る出来事もあった。
まずは東大総長のお話。
ちょっと長かったけど、内容は非常に身に沁みた。
「多様性を大事に」「リスクを取れる人間に」etc
これから社会人になる僕にとってとても大事な事。

学部の卒業式後のアメフト部の後輩たちによる祝福もとても嬉しかった。部を引退してからというもの彼らに多くのメッセージを貰った。それらを読む度に非常に勇気付けられる。
本当にみんなありがとう!
本当は一人一人のメッセージに返信したいけど、あまり余裕がありません。。。

スコピ関係者でブログをご覧になった方がいらしたら皆様によろしくお伝えください。

謝恩会で学部の友達と色々話す事が出来たのも良かった。
キューバの話、バングラディッシュの話、北欧の話、優秀なる財務官僚の話etc
詳細を書く余裕はないけど、どれも刺激的な話だった。
また色んなお話聞かせてね。


謝恩会からの帰り道。

ふと灘校の卒業式を思い出した。

「これまでは灘校生という鎧に包まれて生きてきた。これから生身の人間として生きていかなければならないという。。。」

僕はこれまで灘校生として東大生として非常に恵まれた環境で生きてきた。
初対面から誰もが僕に好意的だった。
何もしていないのに何故か尊敬されていた。
自分から積極的にアピールする必要なんてなかった。

でもこれからは違う。

生身の人間としてどれだけ出来るか。

頑張っていこう。

3週間の旅を振り返って

3週間に渡るアジア周遊を経て僕は多くの事を学んだ。
その中で強く感じたのが如何に日本が恵まれているかと言う事。
僕は海外旅行に出る度に自分達の親、祖父母さらにもっと上の世代に感謝している。
上の世代の努力のお陰で僕たちは今幸せな日々を送っている。

ただし今後も幸せな日々を送る為にすべきだと思った事もいつくかある。
まずは語学。
僕を含めて日本人の大半は英語コンプレックスを持っていると思われる。
日本に住んでいると英語を使う機会が少ないから仕方がない点もある。
英語が苦手だから欧米人が少ないのか、欧米人が少ないから苦手なのか。。
英語なしでも日本国内で十分幸せに生きる事が出来るという点もある。
でもそれじゃ世界から孤立してしまう。
もっと大きな世界で活躍したいと願うなら英語は必須。
ラオス人もタイ人も中国人もみんな英語を駆使して稼いでいた。

僕もまだまだ語学力が足りないので、これから勉強しようと思っている。
一緒に励ましあって勉強出来る方募集。

そして僕が思う、日本人にとって最も必要だと思う事、
それはもっと勇気と誇りを持って生きる事。
僕は外国人の知り合いが言っていた言葉を時々思い出す。
「日本は10〜20年前に自滅した」
まさしくその通りだと思う。
日本人はnervousになり過ぎていると思う。
世界を見れば、思っているほど状況は悪くないことに気がつくはず。

僕は自分自身を規定するあらゆる事に誇りを持って生きようとしている。
人として困っている人を助けたい、男として女性に優しく接したい、東大生として必要な知識を得るよう努力したい、日本人として良き文化を守り希望ある未来を築くべく奮闘したい。

今後日本社会がどのような道を歩くかは僕たち次第。
僕はみんなと一緒に幸せな社会を築き上げたい。
4月から社会人になる身として、
夢の実現に向けて新たな一歩を踏み出したいと思う。

3,4日目 @北京

3日目 @北京
今日は午前中に什刹海を午後から雍和宮などを見学した。什刹海は本来観光客で賑わう散歩スポットらしいのだが、現在は冬の為寒すぎてほとんど誰もいなかった。暖かいお茶でも飲もうと思ってもお店さえ開いてない始末。やっとこさ見つけた喫茶店で一杯500円くらいもするお茶を飲んだ。
その後人力車を見つけ、四合院という清朝の伝統的な家を見学したりした。
午後から訪れた雍和宮には芥川龍之介も訪れた事があるらしい。歓喜仏という大変珍しい男女合体の仏像が有名で清代の皇帝もここで子作りをしたとか。ちなみに芥川龍之介は「これらの歓喜仏は少しもエロティックな感じを与えず、只何か残酷なる好奇心の満足を与うるのみ。」との感想を残したそうだ。
夕方からは雑技団を見に行った。
あり得ない動きの連続だった。
さすが中国。
僕は「蒼穹の昴」を思い出しながら鑑賞していた。
春児もきっと西大后の前でこんな出し物したんだろうな。。。

4日目 @北京
この日は朝から英語のガイド付きのバスツアーで明の13稜と万里の長城を観光した。
エンジニアでスイス人の若い男性、カナダ人で台湾在住歴の長い中年の太ったおじさん、メキシコ人のカップル、ベトナム出身で成都にあるUSの会社で働く中年の女性+僕たちという多国籍ぶり。
彼らと仲良良くなれるだけでも十分楽しい。

明の13稜は非常に良かった。僕はこういった古代中国の思想がふんだんに盛り込まれた建築物に興味をそそられる傾向にある。
反面、万里の長城はまあまあと言った感じだった。
如何せん中国人のツアー客が多すぎてうるさすぎて若干興ざめ。
どうしてそんなにはしゃげるのだろう。
友達曰く、
「きっと万里の長城を歌ったhit曲でもあるに違いない」
同感だ。
ただ万里の長城が凄い事に違いはない。
良くもまぁこんな所に城を建てたものだ。
てかそもそもこんなところを攻めてくる奴がいる時点でびっくり。
そんなこんな考えながら一面に広がる草原を眺めていた。

夕食は北京大学のOBで現在IT会社に勤務する友達と雲南料理を食べに出かけた。
雲南料理で有名な店に行ったところ、やたらお洒落で綺麗な中国人の女性がいっぱいいてびっくりした。
みんなブランドバックを持ちながらi Phoneを使いこなしていた。
その友達曰く、i Phoneを購入するのに4000元(5万円)程度かかるらしく、北京の平均的な給料(大学の新卒?全体の平均?詳細は不明)が6000元〜1万元くらいで有る事から考えるととても高価なものらしい。

僕の友達は、ソフトバンクと中国の会社が共同出資して出来た新しい会社に勤めており(出来て7年くらい)、中国版SNSを作っているらしい。まだ新しい会社だが、既に社員は1000人に達するという。そもそもは化学系を専攻していたが、化学で就職するのは難しいらしく、新たにIT系の定時制学校に通い現在の会社に就職したとの事。北京大学を卒業していながら就職難とは。。
僕のイメージとは全くもって異なる現実だった。

料理の方はこれまた非常に美味しかった。
中華料理はそれなりにお金を払うと半端なく美味しい。
5000年の歴史があるだけの事はある。

その他に面白かった話としては
織田信長徳川家康など日本の歴史上の人物に異常に詳しかった事
(KOEIの「信長の野望」のせいだと後に判明!)
ドラゴンボールキャプテン翼なども知っていた事
孫正義は中国でも非常に有名である事
中国ではなぜか関羽がお金持ちになる為の神様として祭られている事
etc

この日も非常に密度の濃い一日を過ごした。
まだまだ書き足りないが時間がないのでこれくらいにしておこうと思う。

1,2日目 @北京

0日目 @北京
久しぶりに成田に帰ってきて感じたこと。
ご飯が美味しいこと、女の子が異常に可愛いこと、ユニクロがお洒落+高品質+安くてやばいこと、WiFiが全然使えなくて不便なこと、成田は閑散としていると思いきや人数が少ないわけではなく日本人が大人しいからそう感じるのだろうこと
etc


1日目 @北京
タイから帰国して10時間後、僕は北京行きの飛行機に乗り込んだ。
僕が学生時代になんとしても訪れてみたかった国。

僕の周りには中国出身の優秀な友人がたくさんいる。
彼らの力の源を知りたかった。
東南アジアを旅しても、日本にいても中国文化の影響をひしひしと感じる。
その総本山を実際に肌身で感じたかった。
近年ニュースの一面を独占している中国に関するニュース。
実情を実際に確かめたかった。
etc

ツアーでなく、バックパックを持って中国に密着した旅がしたかった。
右も左も分らぬ僕だったが、幾多の中国の友人の協力のお陰でなんとか旅のプランを立てることができた。
そしてその事実がさらに僕の中国に関する興味を掻き立てた。
この人たちはなんて良い人なんだろう。。
僕が、友達の一人に感謝を述べた時、彼女が言った一言は忘れられない。
「だって友達だもん!」
数回会った事のあるだけの友達に対して、
忙しい仕事の合間をぬいここまで当然のごとく優しく接する事が出来るだろうか?

3月16日の晩北京に辿り着いた。
前情報と違い、
コートがなくてもそこまで寒くなかった。
バスなど公共交通手段にも英語表示がしっかりなされていた。
空港での両替は日本と同じくらいレートが悪かった。
(市内の中国銀行のレートが良いがずいぶん待たされた)

空港のリムジンバスで三元橋に向かい、そこから歩いて15分ほどのところにあるIbis hotelに泊まった。
北京に住む知人が予約してくださったホテルで、
衛生的で快適+室内でネットも使用でき二人で4000円以下ととてもリーズナブルだ。
今後中国に行く人は是非チェックしてみてください。
ただしこの地区はホテルが多い割には道がまだ作られてなく、
工事現場を乗り越えていかなければ辿り着けない難点があるのだが。
北京はこういった事が多かった気がする。
めっちゃ近代的で立派な建物がある半面、まだまだ細部にまではいきとどいていない感じ。
もう後10年もすればもっともっと近代的な都市になるのだろう。

本当はお腹がすいていたのだが、周りにコンビニなどご飯を買えそうなところは一軒もなかったので
初日はそのまま寝ることにした。
この周辺に限らず北京にはほとんどコンビ二がなかった。
日本だと駅前などに決まってコンビニがあるのだが、なぜだろう。。


二日目 @北京
この日は朝から
天壇公園→王府井→天安門故宮→景山公園 と地下鉄で観光した。
天壇公園では中高年のおじさん・おばさんが平日の朝から踊ったり歌ったり、ゲームをしたりしておりびっくりした。
後から聞くところによるとこれらは健康活動らしく、暖かくなるともっと多くの人が参加しているとの事。
中国人のバイタリティーや果てしない。
日本人なら恥ずかしくてこんなこと出来やしないだろう。

天壇公園の詳細に関してはここでは省略する。
(僕が説明するより自分でネットででも調べた方がよいだろう)
古代中国の思想がふんだんに盛り込まれている点が僕にとって非常に面白かった。

王府井の屋台にて昼食を食べ、お土産を物色した。
お土産屋さんの売り子のお姉さん達が非常に強烈だった。
僕がどこかの店で何か買おうものなら周りの店のお姉さんも寄ってきて服をつかんで離してくれない。
「これ可愛いねぇ」
「安いよ安いよ!友達プライス!!」
「サイコーいくら??」
巧みに日本語を駆使して食いついてくる。
友達価格でなく友達プライスと言うあたり日本人の心理をよく掴んでいる。
彼女たちに限らず、中国人はみんな商売上手だった。
タクシーに安い料金で載せた後に、一旦車を停めて
こんな観光名所も周るのどう??
と切り出してくる。
国営観光所なども巧みに小銭を稼いでくる。
入場料をとった後に、荷物を預けるお金を取ったり。。。

日本の商売人も彼らに見習うべきだ。

昼食を食べた後、天安門故宮を訪れた。
この壮大さを文章で表現することが難しい。
きっと地球上でもっとも凄い人工物の一つだろう。
ここを舞台に繰り広げられた様々な出来事に思いを馳せながら観光した。
日本に帰ったらもっと中国文化について勉強しよう。
まずはラストエンペラーでも見ようかな♪

夕食は友達が紹介してくれた弁護士の先生に北京ダックをご馳走になった。
あり得ないくらい美味しかった。
屋台で食べるような中華料理は脂っぽいだけで微妙だが、
ちゃんとした中華料理は半端なく美味しい。

先生と話し合った事をいくつか。
「日本では勉強よりも部活に重きを置いている奴が多い。なんかおかしい。
中国では絶対そんな事はない」
「中国は毎年500万人の大学卒業者がいる。完全に買い手市場。だから大学生は必死に勉強しなきゃ。たとえ北京大学卒業でもそこそこ成績が良くないとダメ」
「上海が経済発展しているのは周りに製造会社が多いから」
「中国でも企業取引はほとんど弁護士を介して行われる。もちろん人間関係も大事だけど。。」
「満漢全席は量が多すぎてとても食べられないよ」
「今年の国会で問題となったトピックには、医療問題、住宅問題などがある。貧しい人がちゃんと医療を受けられなかったり、住宅が高すぎたり。。中国は現在日本の医療教育などに関心をもっているらしい。」
「中国では医者の給料は良い大学、レベルの高い病院ほど高い。優秀な奴が高い給料を貰うのは当たり前」
「中国でも一部の豊かな人は日本人のようにまったりしている。でも大部分はまだそんな余裕はない。ほんの一部の人だけ」
etc

兎にも角にも中国文化の偉大さを改めて感じた一日だった。

休養中 @タイ 

16日からの北京に備え、タイで3泊ほどバカンスを過ごす事にした。
net割引のせいか、一人1500円以下でめっちゃ良い感じのホテルに泊まれた♪
やはりタイに来るとラオスとの国力の差を感じざるを得ない。
ラオスに2週間いた後のタイは快適すぎる。
JICA関連でラオスで働かれている方が
タイのインフラを100としたら、
ベトナムは40、ラオスは2くらいとおっしゃってたのを
思い出した。
そのタイですら発展途上国に位置している。
実際に東京に住んでいると何も感じないが、
(むしろカフェでWiFiが使えなかったり食事が高かったりして不便を感じるくらい。。)
日本は相当恵まれているらしい。。

そんなこんな考えながら北京観光の準備を進めています★
早く上手い中華料理食べたいなぁ。。

11,12日目 @ラオス

11日目 
今日は午前中に王宮(フランス植民地時代にラオスの王に対して敬意を示す為にフランスによって作られた)を利用した博物館を見学したのち、飛行機で首都ビエンチャンに戻った。
ビエンチャンで今まで僕たちを世話してくれた先生方、医学生のみんな+今日一緒の飛行機でビエンチャンに来た東大大学院生の二人 とお別れのBBQを行った。
そこで記憶に残った会話をいつくか書きとめようと思う。

政府関係で働く方が以前は公務員は民間企業と比較して人気がなかったが、現在はそこそこ収入面でも等しくなりラオスに貢献出来るというやりがいと合間って非常に人気職種となっているとの事。
以前ラオスでは婚前交渉禁止とブログにも書いたが、実際はそのような習慣は既に廃れているとの事。
etc
なんかもっとあった気もするがもう忘れてしまった。。

12日目
今日で長かったラオスの旅も最後となる。
午前中はとくにすることもなく、一人でランニングなどをして過ごした。


午後になり僕たちを世話してくれていた先生方の一人の奥さんが出産したとの報告を受け、
みんなで病院に向かうことになった。
3500gの大きい元気そうな男の子だった。
ラオスでは2500〜2700が平均体重というからかなり大きな子だ)

先生にとって初めてのお子さんらしく、非常に嬉そうだった。
お父さんになる感想は?
と聞くと
とりあえず幸せ一杯だよ!
とおっしゃっていた。
その後少しして、
この子を育てなきゃという責任感も感じる
とつけ加えた。
将来は自分と同じように医者になって欲しいとの事。
近々自分が開業する予定だから出来れば跡を継いでほしいらしい。

僕たちをメインにサポートしてくださったもう一人の先生の奥さんも現在妊娠中らしく、
僕にはお金がないから、せめて教育だけでもしっかりしてやりたい。
その上で何かしたいことを頑張ってくれれば。
とおっしゃっていた。
この国の人々もなかなか教育熱心だ。

その後先生のお宅に呼ばれ、お母様の手料理を振舞われた。
舗装もされてない道路を5分ほど進む、けったいな場所にあったが
広々としたお宅は非常に快適だった。
隣には親戚が住んでおり、みんなで助け合いながら楽しくまったり暮らす。
なんか僕たち日本人が忘れてしまった物がここにはある気がした。

家族がばらばらになって暮らし、狭い家であくせく働く日本人
親戚みんなでまったり暮らすラオス
環境が整っている割には世界情勢に疎い日本人
なぜか最先端のmusicやDVDもgetし、i phoneさえ使いこなすラオス

そしてJICAの協力なしではやっていけないというラオスの現状

色々な事実が複雑に絡まりあってこのラオスという国は構成されている。
日本とは全く違う状況にあるこの国で僕は多くの事を学んだ。

現実というものは実際に肌身で感じてみないと分からない。

僕たちを世話してくれた先生がおっしゃった言葉だ。
この旅に来て本当に良かった。

明日からはしばしタイでマリンスポーツを楽しもうと思う♪