10日目 @ラオス

今日も一日ルアンパパーンにいたので特に書く事もなくなってきた笑

ルアンパパーンではたまたま出会った日本人数人と行動を共にすることが多かった。
みんな大学生で卒業旅行や春休みに来ていた。
彼らとラオス風BBQを楽しんだり、赤十字が経営するサウナに行ったりした。
サウナは薬草みたいなものを燃やしているらしく、
良い匂いの煙が充満しており中の様子が全然見えないちょっと日本とは異なるものだった
座るところによっては下から直に煙が噴き出しているので熱くて数分も座ってられなかった

サウナから出たところにお茶を飲むスペースがあり、そこでバルサの試合を観戦することも出来、100円程度でかなり贅沢な時間を過ごせた気がする。

大阪人が経営するというラオス伝統舞踊が見れるレストランも面白かった。
1250円ほどのところを1000円に値切ってもらった。
3人の女の子が色んな衣装で可愛らしい舞踊を披露してくれた。

ナイトバザールもそれなりに楽しかった。
値切りつつちょこちょこお土産も買った♪
なんとなくラオスの人はタイ人よりアグレッシブさに欠け、
あまり押し売りしてくる感じはなかった。
ここで出会った日本の友達が、ラオスブータン・日本の西南地区は文化的に似ていると言っていたのは興味深かった。
確かにこの国には日本的な雰囲気が流れている。
人が良く、おしとやかで癒し系な雰囲気。。
文明化が進んでもこの良き文化が失われませんように。


明日は久しぶりに首都に戻る。

9日目 @ラオス

昨日から今日にかけて世界遺産であるルアンパパーンの町を散策した。
当初は自転車を借りて回ろうと思っていたが、中心部だけだと歩いて20分程で回れる小さな町だった。

神様が舞い降りてこの町を作ったという、山の頂上にある黄金の塔やここで一番大きいという寺院などを見学した。
寺院で修業してる僧侶が現代風の本や傘を持ったり、先輩がお経を唱えている際に後ろで私語をしているように見えた事がちょっと気になった。
僕たち観光客が回りを取り囲み、フラッシュをたいているので、邪魔をしている事は間違いないのだが、実際彼らはどういう気持ちなのだろうか。。
以前バンビエンでラオス人に話を聞いた時も、
西洋化に対する意見は分かれていた。
収入が増え、生活が良くなることを喜ぶ声もあれば、このような形の発展は嫌だと嫌悪感を示す人もいた。

朝6時から托鉢にも参加した。
20000キープ(200円くらい)で炊き出しのおばさんから
ご飯を買い、それを修行中の僧侶に手渡しであげる。
実は僕は以前少しテレビで見た事があった。
確か修行中は母親とも話を交わす事が許されず、母親は息子の姿を見る為にご飯をあげに来るみたいな感動的なストーリーだった。

ただ僧侶の数より周りをカメラを持ってとりまく外国人の方が多く感じ違和感もあった。

その後博物館に行ったが残念ながら今日は閉館日だった。
しかし、たまたま見かけた欧米人に奥でなんかやってるよと教えてもらい、博物館の裏の方に行ってみた。
なにやら仏像を修理をしているようだった。
一人で観察していると、突然
こんにちは!と声をかけられてびっくりした。
修理していたのは日本人だった。
どうやら仏教系の大学の研究室の人たちがラオスに来ており、
修繕の技術をラオス人の教えているとの事。

どうやって仏像を修繕するか、ラオスの仏像と他の国との違いなどを日本語で教えてもらえた。今までの疑問も多少解決した。

ラオスの仏像が鼻が高くて西洋風の顔立ちをしているのは、インド人などをモチーフにしたのではなく本来ラオス人はそういう顔立ちだったということ。
中国系など周辺の民族と混血が進んだ結果今のような顔立ちになったとのこと。
女性像が多いのは、仏教とはそもそもそういうものだということ。
女性像と象の彫刻は男女の自然なまぐあいを示すものであり、
インドの古来からの考えかたであること。
日本にも本来女性像がいっぱいあったが、男尊女卑的な社会観念にそぐわないため、江戸幕府が廃止したこと
どの宗教も本質的には人間関係がうまくいくように中道をとろうとしていること
以前はラオスは非常に治安が良い国だったが、ここ数年は文明化の波が押し寄せ、それと共に詐欺・盗難など犯罪も増えてきていること(やはり僧侶達に僕たちは悪影響を与えているのだろうか。。)

etc
非常に興味深かった。

その後町を散策して手工芸品などを物色した。

そろそろすることもなくなってきたので
まったり本でも読んで過ごそうと思う。
引き続き読んでいる、チャーチルの第2次世界大戦は非常に面白い。
当時のイギリスの状況は今の日本の政治状況に似ているとも思う。
しがない日本政府(?)に不満を持つ人は一度読んでみたらどうでしょうか??

8日目 @ラオス

今日は朝からバスで北部の古都ルアンパパーンに来た。
5〜6時間程要し、途中危険な道もあるとの事だったが意外とあっさり着いた。
人生最大級の縦揺れを経験したのは否めないが。。

ここは標高が高いので少し涼しく、古都というだけあってお寺や僧侶が多く街並みも落ち着いており過ごしやすい。
ヨーロッパの年配の観光客が多く、カフェやレストランも充実している。
ラオスの伝統的な部分と西洋が上手くmixしている感じ。
不思議と違和感はない。


これといってする事もないのでまったりshoppingでもしようと思う。

7日目

6日目の晩はたまたま出会った日本人と飲みに行った。
大学の2年生らしく、北京、バンコクを経てラオスに来ていると言っていた。
北京では適当に万里の長城にも行けたと言っていたので、僕たちも行けるかもしれない。

7日目。実は病院見学は昨日でおしまいで、これからは純粋に観光旅行だ。
今日はcaveの探検と、tubingを一緒になったカナダ人+現地のガイドの5人で行った。
カナダ人は40代くらいのおじさんで、ナイアガラの滝の観光バスの運転手をしているらしい。運転手として大学を卒業してい以来19年間働いている。現在は観光客が少ないので5週間の休暇をとりラオスに来ているんだそうな。
金融危機の影響もあるかと聞いたところ、アメリカへの輸出が減ったから少しあるけど、あんまりと言っていた。
東南アジアはたいてい来た事があり、ここが最後の国だとも言っていた。
僕は常々、ヨーロッパ人バックパッカーが多い事が疑問だったので、アフリカなどよりアジアの方が人気なのか?と聞いてみたらそのおじさんはアフリカにも行ったことがあるが恐らくアジアの方が人気だろうと言っていた。
確か以前に出会ったノルウェー人は、アジアは異国情緒があり、比較的安全で良いみたいなことを言っていた気がする。

ガイドさんは32〜3歳で、数年前までは銅の炭鉱で働いていたそうだ。中国との合弁会社らしい。
中国の会社は多いのかと聞いたところ、
「ああ、人口が違うからね」と語っていた。
仕事内容が辛いし、お金にもならないから工夫を辞めてガイドをやっているとの事。
英語は学校で6年間ほど学んだだけだと言っていたが非常に上手かった。
knowledgeをたくさんgetできるからガイドの仕事は良いと言っていた当たり、知的好奇心の高さを感じた。
この国の人は知的好奇心が旺盛で魅力的な人が多い。(英語を話せる時点でバイアスが入っている可能性も高いが)

途中でモン族の村を通過した。
タイ政府に追い出されてラオスに逃げてきたらしい。
木造の家屋で生活し、子供たちは川で魚をとっていた。

今ではラオスで2番目に多い民族になったらしい。
当初は言語が違う為争いもあったが、モン族がラオス語を話せるようになったため現在は何の問題もない。結婚することも可能だと言っていた。
理解を深めるためには、言語が一番大切だと思うと語っていた。
歴史や文化よりも。

caveはtubeに乗って暗い洞窟を進むものや、日本でいう鍾乳洞みたいなものなど色々あった。
途中の道に大きな穴があいていたりしており、
ひとりで来た日本人が落ちたらしく、japanese hollとガイドは呼んでいた。
同じ日本人として情けなくなった。

tubeはとても気持ち良かった。
綺麗な景色を見ながらただ流れていくだけだけど。
時にはこういったのも癒されて良い。

ホテルに帰ってきて、フロントのお兄さんと話していると
ownerの女性の兄貴だということが判明した。
全然顔が似ていない(妹は色白で目鼻立ちも整っためっちゃ美人なのに対し、彼は真っ黒に日焼けして。。。)
だけにびっくりした。
彼にホテル&彼らの家族の歴史について色々聞いてみた。

5年前に妹がこのホテルを建てたらしく、それ以前は水は建物を売っていたらしい(詳細不明)。
現在は2つのホテルと1つのレストランを経営し、新たにもう1つホテルを建てるそうだ。
凄い資産家の家庭かと思いきや、彼も妹も仕事が忙しいため学校にも満足に行けなかったと言っていた。
だから英語も苦手で現在学校に通っていて勉強しているという。

言語・時間の都合上はっきりとは理解出来なかったが、
彼らの家族の成長がひしひしと伝わってきて少し羨ましかった。
日本ではこんな景気の良い話はめったに聞かない。
彼らの能力が非常に高いからなのか、環境の問題なのか。。

僕も彼らみたいにロマンティックな人生を送りたいものだ。
保守的な決まり切った人生なんて詰らない。
みんなが驚くような仕事がしたい。
もちろん良い意味で。

6日目 @ラオス

5日目 補足
バンビエンに到着した後、district hospitalに見学に出かけた。
district hospitalはこの州に二つある基幹病院を意味する。
その中でも外科手術が出来る病院はtypeAと呼ばれ、この州のdistrict hospitalの内、ひとつがtypeA、もう一つがtypeBだった。
外科手術が出来るといっても、してもよい手術は国の定めるruleによって決まっており、それを逸脱して結果が伴わなかった場合は罰則があるため基本的にはcapital cityの病院に搬送するらしい。具体的には虫垂炎などは切除できるが、腎結石、脳腫瘍などは無理みたい。
麻薬に関しては以前は問題なかったが、外国人が増え出してから
流通するようになったとおっしゃっていた。
ちなみに仏教国であるラオスでは婚前交渉(特に外国人との)が禁止されており、結婚しても妊娠してはならない月(7〜9月だっけ?)が決まっている。
それでもsex workerは存在し、HIVなども問題となっているらしい。
この地域には4つの保険制度が存在しており、政府、民間(半分は政府が負担)、地方自治体(住民がtax)、貧困相向けとなっている。
ただし、保険の必要性すら感じない人も多いらしく、保険に入っているのはわずか30%程度であり、僕たちをガイドして下さっていた方(東大の大学院に留学されている程高学歴の方)も保険に入っていないとおっしゃっていた。

晩はガイドをしてくださっているラオスの方々とguesthouseで飲み会をした。
現在こそラオスにも大学が存在するが、10数年前には存在していなかったため、大学に行きたい人は海外に留学する必要があり、毎年120人の優秀な学生が国中から集められ、みんなで準備をするらしい。
そして僕たちが一緒に飲んでいた方々はその海外を目指す選抜メンバーの同期だった。
道理で英語も上手く、暮らしぶりも良いわけだ。
奥さん方もみんな美しいかった。
因みにラオスではお見合い制度が主流らしくみんな母親からの紹介だと言っていた。

6日目
朝からhealth care centerを訪れた。
このdistrictのある5つの内の一つであり、7000人をcoverしている。
仕事内容は主に二つ。簡単な患者の診察とワクチンの普及。
管理者は医師ではないが、JICAなどの協力の元に作られた秀逸なガイドラインのお陰で重症患者の搬送、軽症患者の治療などが効率的に行われていた。患者数は月に200人程度であった。
この保健所もどきは元々は国際協力機構から貰った800ドルで建てられたが、現在は3000ドルの貯蓄があるとの事。(薬を仕入れ値の20%増しで売る事になっているのでお金を稼げるらしい。)
興味深かった点はこの管理者がfeedback systemを重要視しており、ワクチンの普及に従事している従業員の仕事ぶりを患者に調査することで監視しているとおっしゃっていた。
cf,ワクチンの普及
元々病気には神様のせいで罹ると思われていたので、住民はワクチンには非協力的だった。時々生じる副作用もそれに加担した。
しかし、実際に蚊帳を導入してマラリアが激減して以来、住民も科学の力を信じるようになりワクチンの普及も進んだ。
現在は妊婦に破傷風トキソイド、新生児にBCG,DPT,ポリオの摂取が行われている。

ただここの保健所は管理者が有能だった為に例外的に成功しているようで、現に管理者の子供は海外で勉強しているらしい。
やはり飛び切り頭の切れるおじさんだったみたい。

午後からはカヤックをしに行った。
多くのユーロピアンと絡む事が出来、楽しかった。
僕たちのボートの後ろにしがみ付いたり、僕のパドルにつかまったりしてきて、面白かった。
彼らはクールそうに見えて意外と無邪気だったりする。

5日目 @ラオス

今日は車で3時間ほどかけてバンビエンという小さな町に来た。
ここは昔米軍基地があった名残りかヨーロッパ人観光客が非常に多く、tourist areaはほとんどラオスとは思えない雰囲気だ。
大学を辞めて3か月間ここに滞在しているというイギリス人やスウェーデンから来たという30〜40くらいの一人旅の女性と出会った。
以前タイにいたときも含めて会うのはたいてい北欧・ドイツ・フランス・イギリスの人だ。
なぜかアメリカ人や南欧の人とはあまり出会ったことがない。

ノルウェーでは、高校を卒業すると親が海外旅行に行くことを勧めるようだ。
一年くらいかけて世界を旅し、それから大学に入る。
僕が出会った女性は、エコ関係の勉強をしたいと思うようになったと言っていた。
デンマークの男性は、安定している公務員になれれば、と語ったいた。
イギリスにも似たような文化があり、大学進学率は日本ほど高くないらしい。
彼らはもっと自由に生きており、したいことがある奴は高校くらいからテーマを決めて勉強をし、大学でさらに研究を進めるらしい。
特に勉強したいことがない場合は高校を卒業してそのまま就職をする。
それでもキャリア的にハンデはないらしい。
むしろ大学まで出てちゃんと働かないと変な奴と思われるらしい。日本のようにとりあえず大学を出て、結婚したら仕事を辞めるなどと言った事はもったいない!とも言っていた。
その分大学卒の人間は尊重されてもいるようだ。
就職活動も大学に企業の方が来てくれるらしい。
そこで面接をして内定をもらうらしい。
現在の日本のシステムとは随分違う。
ただ、イギリス在住歴の長い方が、本来日本は文化的に近いイギリスを模倣するべきだった。
アメリカ型はあまり日本に合わない気がするとおっしゃっていたのが印象的だった。

今日はこれから付き合って下さっているラオスの先生方と一緒に飲みに行く予定だ♪

4日目 @ラオス

今日は朝からmother and child hospital(?)みたいな所に行った。
capital cityにある4大病院の一つだ。
最初に部長らしき先生と話をした。
英語のレクチャーも上手い先生でとても有意義な時間が過ごせた。
今なお83%の方が家で出産をしていること、それ故新生児仮死が非常に多いこと、その解決策として教育を行うことが最も大事だと先生方は感じていること、しかし、教育は短期間で成果が上がることではないのでプロジェクトとはなりにくいこと(前日に大西先生と話す機会があった際にもプロジェクトである以上数値で分かる成果を上げる必要があるとおっしゃっていた。)、成功modelが重要だがまだちゃんとしたものがないこと、様々な機関・国の支援のもと多くのプロジェクトがラオスでは進行しているが
コミュニティーの人が参加することが一番重要だと考えていること、色々な事を話してくださった。

その後病棟を見学した。
そこで出会った医学生は4年生だが、5回ほど自分で出産の介助をしたことがあると言っていた。
感想を聞くと少し照れながら excellentと言っていた。
ラオスでは医者の数は足りている(むしろお金を払えないからこれ以上増やせない)が看護婦は足りていないらしかった。

数日の病院見学を通じて僕が最も強く感じた事のひとつに職員の感じの良さがある。
目が合えばみんな笑顔でこんにちは と言ってくれる。
その一言で何回癒されたことか。

午後からブッダ公園に出かけた。
僕にとって少し奇妙に感じたことは、女性の銅像が多かったこと。日本のお寺には少ない気がする。

その後病院に戻り、韓国からKOICAとして協力に来ている先生を話す機会を得た。
英語もラオス語もペラペラで非常に魅力的な先生だった。
友達が、日本では発展途上国で数年間キャリアを積むことはデメリットになり得るが、韓国ではどうか?
と質問すると、
軍役の代わりだからそんなことないよと答えていた。

僕はメコン川を見るのが好きだ。
色々な気持ちにさせてくれる。
島国にいては感じられないような、何か心の底から湧きあがる
熱い気持ち。
僕は小さな島国でなく、広いこの大陸で生きていきたい。



to do list
①日本に帰ってからも気軽に笑顔で挨拶できるようにしよう
②英語を日本語と同じくらい自然に使えるようにしよう