3日目 @ラオス

2日目の晩から3日目にかけて色々な事があった。
色々あり過ぎてこの国の事がさらに分からなくなってきた。
とりあえず合った事を事実として書きとめようと思う。

2日目の晩はラオス医学生&先生方とメコン川のほとりにあるBBQ屋さんに行った。真ん中で肉を焼き、周りには水を貯めて野菜をboilして食べるちょっと変わった形式だった。めっちゃ美味しかった。
ラオスの学生(シタ君とピンさん)は二人とも非常に魅力的だった。英語も上手かった。シタ君は整形外科、ピンさんは内科に興味があるらしい。ラオスでは病院に十分なお金がないため、医者の数を抑えており、医学生でも一人前になれる学生は少ないらしい。しかもラオスでは医者の給料はあまり良くないらしい。
年齢が30くらいなら月数十ドルくらい。それでも医者になろうとする彼らは
大事なのはスピリットだと語っていた。
ビールも山ほど飲んで500円くらいだった。
シタ君はなるとなど日本の漫画も知っており、平仮名くらいなら読めると言っていた。

3日目は朝から郊外にあるJICAが支援する病院の見学に行った。内科の教授(?)の問診に付いて回り
内科病棟を見た。僕の想像とは異なり患者の多くが2型DMだった。最近の経済発展により食事が沢山とれるようになった事、その反面病気に関する知識が欠けている事が主な原因のようだ。

続いて産婦人科病棟を見学した。
ここでは最近になってようやく子宮頚がんの細胞診が出来るようになったらしい。先生方に現在の問題点を聞くと、
悪性腫瘍など婦人科領域の治療がまだまだ未発展だとおっしゃっていた。最近増えてきているみたいで問題だと。
最後にHIV病棟を見学した。国際的なfundからの支援があるらしく意外にも抗HIV薬には困っていないらしかった。
様々な取り組みにより(教育など。コンドームの使用の習慣化など)ここ数年は罹患率が減少しているようだ。

昼からは先生、学生に連れられてcapital cityを見学した。
まず最初に連れて行かれたのは戦勝記念の博物館みたいなところだった。
フランスの植民地時代、アメリカとの戦争など
感情をこめて語ってくれた。
僕には最初は国民がばらばらだったから負けたけど、最後は初代大統領の元、
みんなが一つになったから勝てたといっていたのが印象的だった。
ただもうアメリカ人やフランス人に対する敵対心はないと言っていた。
学生の一人はそれでもrepayするべきだいうような事を語っていた。
(正確にいうと彼らからの援助はrepayとして当然だという趣旨だったと思う。彼らがこのような感情を抱いている以上、フランスからの支援は外交政策としては上手くいっていないのだろう)
そしてみんな自国に誇りを持って生きているのだと感じた。
日本人はどうだろうか?

その後フランスが作った凱旋門likeのところに行った。
フランスが作った建物というところに少しビックリした。

夕方からは日本人3人でラオスマッサージに行った。1時間600円くらい。
僕は友達と二人で小さな部屋に案内された。
マッサージをしてくれた女性は英語が全然通じなかったけど、なぜか楽しい会話が出来た。
後から彼らが言っていた意味を調べたところ彼らは静かにして と言っていただけの事に気がついた。

夜は向こうの学生たちと感じのよい野外のバーみたいな所に行った。大学3年生くらいの子がTOYOTAの車を運転してくれた。
その車ではDVDも見ることが出来、韓国の2NE1のDVDをかけてくれた。それが本物か偽物か僕には分からないがここでは5円くらいで海賊版のDVDを購入することが出来る。これはペットボトルジュースと同じくらいの値段だ。
バンドがステージの上で演奏しており、曲をリクエストすることも、自らがステージに上り歌うこともできる面白いシステムだった。流れていた曲は洋楽が大半だった。彼らは様々な曲を良く知っている。たびたび感じたことだが、世界の情勢に日本人以上に詳しい気がした。
その後クラブのようなところに出かけた。
多くのラオスの若者が楽しそうに踊っていた。
まるで西洋みたいだった。
日本もバブル期などはこんな感じだったのかな。
そのあとみんなで屋台でラーメンらしきものを食べた。
この国の人たちが糖尿病になるのは最もな気がした。。

夜の2時くらいにようやくホテルに到着した。
この日は多くの事があった。
自分が見ている世界は明らかに標準的なラオスの若者の世界とは異なるとは思う。
でも非常にshockingだった。
そして彼らから力強いpowerを感じた。